ニュース

2020年04月17日

 學生生活 教育?研究  

緊急事態におけるチャペルメッセージ(2)配信

 

「真理を求める大學として」

山梨英和學院 院長 樸 憲郁

 

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を亂している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカによる福音書10章38~42節)

 

新學期が始まり、新入生と在學生の皆さんにとって、學問研究を中心とする山梨英和大學でのキャンパスライフが始まりました。大きな期待を胸に膨らませていることと思います。私はこの4月から山梨英和學院全體の院長に就きましたので、新入生と同じく不慣れな日々がしばらく続きます。ところが今は、不慣れどころか、國內外で突如襲っている新型ウィルス感染の猛威を前に、皆一様に不安と怖れに包まれ、入學式の取りやめと學年暦の大幅な変更を余儀なくされています。しかしこの難局を乗り越え、時が來るのを待って、それぞれ學業の備えをしたいと思います。

近代國家の成立と共に「大學」は國公立であれ私立であれ、伝統的に七自由學科(一般教養)を探求する「學問の自由」を砦としてきました。この自由における探求は「真理」を求めるためです。最終的に、物ではなく人が問題となるからであり、人間が生きる質を問うからです。ところが日本でも戦後、多くの新制大學ができましたが、入學式の時に學長が「諸君は大學に真理を求めて入ってきた」と言うことが、はばかられるようになってきました。ほとんどの學生は、真理とは関係なく卒業証書と卒後の就職に有利な各種の資格を得るために入學してきたからです。しかし、ある優れた経済學者はそのことを憂慮し、「経済學も含めてそもそも學問は真理を探究しなくなってきている」と言いました。アメリカでベスト?セラーになったアラン?ブルームは『アメリカン?マインドの終焉』(1987年。フランス語、ドイツ語、日本語訳あり)で、痛烈にこう批判しました:「人文科學の正門には、さまざまな文字と言葉でこう記されている。『真理は存在しない-少なくともここには-(” There is no truth-at least here-”)、412頁』」。
學問探求とそれが最終的に求める「真理」との関係を別の言葉で申しますと、通常の一般學科の授業と禮拝?聖書科/キリスト教學との密接な関係であり、それが大切な問題なのです。

本學のチャペルアワーの禮拝は、実にここで大きな意義と位置をもちます。皆さんが忙しくなる學業の合間に一瞬の安らぎを得、自分を振り返って瞑想する機會とするのも結構ですが、それに優って、神の前で問いかけられる根本的な問いをその都度受けとめつつ、目標をもって學問を研究し、技蕓を磨く勇気と知恵を得る機會としてください。

本日の聖書箇所で、主イエスを嬉しく迎え入れた姉妹の振舞いが描かれています。忙しくおもてなしする姉マルタと、じっと座って主イエスのお話に耳を傾けて聴く妹のマリア、この二人は対照的な生き方を示しています。ここでマルタが単純に批判されているわけではありませんが、文字通り「忙」しさに追われて<心を亡くす>、つまり生活の中心を失くすことが起こります。主はそれを見抜いてマルタを慈しみ、こうおっしゃいました。「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 この御言葉に従って、禮拝堂でのチャペルアワーを中心とするキャンパスライフを、皆さんもこれから享受してください。

 

 

 

 

ニュース一覧へ戻る

最新无码国产在线视频